感動すること、表現すること、光になること




先日、中学生の娘が 突然国語の教科書を私に読んでくれたのです。
森崎和江さんの 「朝焼けの中で」という作品ですが、それはとても美しい文章でした。
「なぜこの文を読んでくれたのか」
それは、
娘が最近感動したあることを「どんなに感動したか」を私に言いたかったようなのです。

「森崎さんが八つか九つくらいの年頃にどんなに感動しようとも、それを言葉でうまく表現できなかったように、今体験したこの素晴らしいことの喜びを言葉でうまく表現するのが難しい」と
娘は言っていっているようなのです。

これを聞いて、二人の感性にうれしさを感じました。
そして、 自身にも同様の体験があることを思い出させてくれもしました。

 八つか九つくらいの年頃にある日「素晴らしい夕焼け」を見て、
その感動をすぐ絵にしたくて家に帰り、夕食さえも後にして絵の具箱を取り出した時のことです。

何度かいても私の感動はそこに表現できなくて、悲しかったのです。
と同時に、その日の夕焼けはより心に残るものになったのです。
  
あれからずいぶん年月は過ぎたけれども、感動は今でも思い出せます。
そうした感動は思い出すことによって時間を超えて蘇るし、
ハートが暖かくなります。

美しいものを見て、感動すること。
ただそれだけで ハートから光が放たれます。
体が光のそのものになっているその瞬間があります。

感動することが年々増えています。
ほんの小さな事にも感動できるようになっています。

光の粒子が体の中で増えているのかもしれません。

ありがとう。







2 件のコメント:

  1. 美しいものに触れたとき自分が光を放つ、、よくわかります。
    細胞の一つ一つから光が溢れ出す感覚です。特に神経ごうからは光が放たれます。(近頃はそれが起こりません)

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  2. はなさん、素敵な名前ですね。
    花自体、はなさん自身が「美しい」のだと思います。
    だから、美しいものに触れた時に、互が感じ合うのでしょう。

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コメントいただきありがとうございます。 Duluce